陸上狂技マガジン

駆け出しのスポーツライターです。スポーツに関して【DO(する)】【WATCH(観る)】【READ(読む)】という観点から備忘録として書いております。

【Read】わらじの数は、裾野の広さ。

わらじの数は、裾野の広さ。

“二足のわらじを履く”という言葉がある。

日本のジュニアスポーツは、わらじを履き分けづらく出来ている、様に見える。

というのも、春夏秋冬それぞれにドラマがある様に思えるからである。日本のスポーツには四季がある。

「それは“観る側”の目線だ」と言えるだろうか?今の時代、“観た者がする”のだ。

ドラマが悪いとは思わない。

意図されたものでなければ、ドラマは憧れを生む。

だからこそ、わらじを履き替えれば生まれるドラマもある、様に思う。

わらじの数は裾野の広さ。

ただし、持ち過ぎには注意。さもないと、どれも足に馴染まない。

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PS:

“二刀流”

“二足のわらじを履く”

大谷翔平の活躍で、前者がすっかり有名になってしまったが、(私も含めて)二つの言葉は何となしに同義として使う事も多いのではないか、と思った。「二つ(時にそれ以上)の物事を兼務する事」。

果たしてそうだろうか。

“二刀流”は両手に一本ずつ、計二本の剣を持つ事であり、“二足のわらじを履く”は異なる二種類、つまり片足に二つずつわらじを履く事である。

前者は同時並行が可能で、後者は不可能(無理をすれば可能かもしれないが不格好)である。従って、深意は異なるのではないだろうか…と。

前者は“同一スポーツにおける器用さ”、後者は“複数スポーツの選択肢”を表している様にもとれないだろうか…と。その様な観点から、“二刀流”はどこかエリート的な響きがあり、“二足のわらじを履く”の方がよりポピュラーな響きに感じた。それでは、わらじの数こそ、スポーツ強化の土台ではないか。

因みに“二足のわらじを履く”は英語で“wear two hats”、“(大谷翔平の)二刀流”は、海外メディアでは“two-way player”と表現されるらしい。

欧米では、これは同義語として扱われているんだろうか。

などと、キリのない事を考えている。

種目選択の余地拡大には、私は賛成です。

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【メモ】

「14歳まではいろいろなスポーツをしよう NBAの提言に見る日米の違い」

http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/10/22/kiji/K20161022013577570.html

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