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陸上狂技マガジン

スポーツ(特に陸上競技)に関して【DO(する)】【WATCH(観る)】【READ(読む)】という観点から備忘録として書いております。

【Read】ノンフィクションにおける死について。マラソンランナー円谷幸吉の話。

ノンフィクションというのは時に、罪なものだなと思った。
 
書店で文藝春秋11月号を立ち読みしていたら、巻末の読者感想欄の様な章に『悔やまれる死』という題で一つの感想が寄せられていた。
 
読んでみると同誌の10月号にマラソンランナーの円谷幸吉東京五輪マラソン銅メダル)の死に関する文章が掲載されており、それを読んで『真相を知り、哀れでならない』というものであった。
 
ふと一冊のノンフィクション短編集の一章が浮かんだ。沢木耕太郎が1976年に発表した『敗れざる者たち』における『長距離ランナーの遺書』である。読んだ当時は、既に円谷幸吉が若くして自死したという事実は知っていたので、むしろその死について扱った文章という事で関心を持ったと記憶している。
 
東京五輪から約4年後に若くして死んだランナー円谷幸吉の遺書には自己主張が全く感じられなかった。筆者のその違和感から文は出発する。仲間と走る事に明け暮れた牧歌的な時代を経て、東京五輪における熱走によって時の人となった。本人は慎ましい生活を欲していたが、それを周囲の一部の人間が許さず、伴って縁談も破談した。加えて走者としての身体的状況も意に反して悪化した。その末、自らの命を絶った。円谷の規矩的な人間性を覗かせながら、死の本質を推し測る”
 
ざっとこの様な内容になっている。
 
これを読んでいたので、文藝春秋に掲載されたその作品がどんな内容の物か気になった。問い合わせてみると在庫はなかったので、Kindle版を購入して読んでみた。
 
ノンフィクションライターの松下茂典氏による文のタイトルは『震災で発見された50年前の手紙を初公開 マラソン円谷 悲劇の謎が解けた』という物だった。
 
円谷幸吉の死の動機は諸説あるが、本人の言葉が無いので決めてを欠いてきた。福島県須賀川にある、幸吉の長兄の家が東日本大震災で被害を受けた際、眠っていた幸吉の手紙の束が出てきた。その手紙の一部を公開し、関係者の言葉や当時の回顧を交えつつ、その死の真相に迫った”
 
といった内容のものであった(いずれもかなり大まかに纏めてしまったが)。
 
二つの文章で異なっているなと思った点は、文中において、円谷の死の本質的な部分を指している様に感じた箇所の、捉え方と語り口であった。
 
『もし、アベベの足の状態を円谷が知っていたとしたら、円谷は果して死んだであろうか、と』(沢木氏著)
『あのとき、圓谷が結婚していれば、絶対に死ぬことはなかった。それだけが返すも返すも残念でならない』(松下氏著)
 
沢木氏の著作では、最終段落にて、東京五輪で金メダルを獲得したアベベが翌年にレースの為来日した際の一コマを引き出している。当時アベベは膝の故障と闘っていたが、円谷はその事を知らず、アベベの『どうして走らないのか』という問いに対し『足を痛めて走れないのだ』と答えたという。そして、『円谷の生涯に「もしも」という仮定が許されるのなら』と前置きした上で、上記の様に結んでいる。まるで、円谷が“苦しいのは自分だけではない”と思えていれば、後年、自死を思いとどまる事が出来たのではないか、とでも言うように。
 
後者の松下著の方は、沢木著が本人の推測であるのに対し、円谷幸吉の師である畠野洋夫氏の言葉を引用した物である。円谷は、在籍していた自衛隊体育学校の校長(当時)である吉池氏の横槍等によって、成就間近だった結婚が破談となってしまう。東京五輪後、思うように走れない中で、心の拠り所を求めていただけに、その事が主要な死の要因になったのではないか、と。
 
松下著では、自分の言葉で語るというよりも、円谷幸吉の手紙と、関係者の言葉を中心に語られるものであったので、文章のタイトルにもある『悲劇の謎』というのは、“人間関係のもつれ”という事を、上記の言葉によって表している様に思った。
 
ただ私が後者を読んで感じたのは、“死の真相が分かった”というよりも、“(沢木氏の著作で)曖昧になっていた部分が埋められた”という事である。というのも、沢木著の中では、円谷幸吉の縁談が外部の様々な圧力で破談になったとは書いているものの、その明確な要因には触れていなかったからである。
 
従って、いくら本人の言葉がしたためられた手紙が見つかったからといって、それを公開してまで書かれている内容は、結局は“諸説の中の一つ”から抜け出ていないものである様に思った。むしろ、決めてに欠いていたからといって、敢えて縁談が破談した真相を解明して文芸誌に載せる事にどれほどの意義があるのか。そこは“聖域”なのではないか…。
 
その最期と、自衛隊体育学校に属しながら中央大学の夜間部で学んでいたという事実を知って関心が高まった円谷幸吉というランナーの話は、一般人である私にとっては、沢木氏の文章をもって一つ区切りを得ていたが、2016年になって新しく発表された文章を読んで勝手に感じた事は、“心にしまっておけばよいのに”という事であった。松下氏の文章を読んで感じた、何となく釈然としない読後感は、ここから来ている様な気がした。
 
若くして亡くなった人間の人生の追跡は、何らかの表現によって世に出て、時として人の心を震わせる。それは、“風化されない”という面がある一方で、“消費されている”という側面もある様にも感じる。それは『長距離ランナーの遺書』に関心を持った当時の自分も同じく。
 
『夭折した者が遺した「思い」を理解することは、生き残った者たちにはついに不可能なことなのかもしれない。しかし、生き残った者たちは、遺されたその「思い」から逃れることができないのだ。その中で生き切るより仕方がない』。人の死を掘り起こす事に対する罪悪感を表明する様に、沢木氏は同文章の中で書いている。もしかすると松下氏も同じ感情を抱いて、今回の文を書いていたのかもしれないが…。
 
ノンフィクションというのは時に、罪なものだなと思った。
 

 
追伸
もし自分がライターだったら、上記の様な文章は書けないな、と思った。少なくとも現時点では。それは語彙や表現、構成の技術云々以前に、所謂“物語性のある死”をまったくの他人である自分が書くという事が怖くて、想像が出来ない為である。加えて、最近連続して読破した角幡唯介氏(探検家兼ノンフィクションライター)による、探検作品群に興味がそそられた点や、開高健の『ベトナム戦記』を一気に読んでしまった点が、何となく腹落ちした様な気がした。それは、そのいずれもが、自身の(しかも非凡な)体験を表現したものであるからだ。従って、漠然と報道・編集・執筆の世界で生きていきたいと思う自分にとって、“体験の表現”を行う、ないしはそれを(おそらく)重視している集団に属すという事も、選択肢の一つである様に感じたのであった。
 
また、少し前に読んだ角幡唯介の『旅人の表現術』における、沢木耕太郎との対談記事で、二人が若干すれ違うシーンがいくつか見受けられた。それは、自身の体験を表現する角幡氏と、他人の体験を表現する沢木氏のスタンスの違いと、自身の体験を表現する事の出来ている角幡氏に対する、沢木氏の一種の羨望なのだろうか、とも思ったが、少し考えてそれは違うと思った。というのも、沢木氏は『深夜特急』で自身の体験を表現しているし、角幡氏は最新作の『漂流(あるマグロ漁師の漂流に紐付けて、沖縄・佐良浜人の“海洋民”としての性を描く)』で他人の人生を表現しているからである。同書の中で沢木氏は『よくはわからないけれど、こういうことはあると思う。ある行為を自分で書けば行為そのものを書くことになる。しかし、それを他者が書くと行為の意味について書くことになる。でも「凍(登山家山野井夫妻の臨死登山体験を描いた作品)」は、行為の意味ではなく、行為そのものを書いている様な気がするんですね』と語っている。また、別書の『仕事。』(川村元気著)では、『僕はあらゆることに素人だったし、素人であり続けた』と言っている。そこには、「(ノンフィクションというジャンルにおける)“体験の表現を”やろうと思えば出来たんだけどね」という余裕を覗かせると同時に、あえてそこには入り込まずに多彩な型式の構成を追究してきた姿勢が、広く受け入れられている要因なのかもしれないな、と感じた。その点、沢木氏は、他のあらゆるノンフィクション作家と比べて変幻自在であり、一人違う土俵で闘っている様に見えた。同時に、“体験の表現”が今の自分にとっては面白そうだ、と思うに至ったが、最終的には、少ないなりに違うふんどしも持っておかなくてはいけないな、とも思った。角幡氏が、“体験の表現”から、『漂流』によって、“他人の体験の表現”へ道を拓いた様に。それも、斬新な構成で。